大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)7412号 判決 1982年1月29日
原告 細田政夫
被告 大宝タクシー株式会社
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金四一万八三七〇円及びこの内金三六万八三七〇円に対する昭和五五年一〇月一七日から、内金五万円に対する本判決言渡の日の翌日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告は、タクシー業を営む株式会社である。
2 原告は、昭和四三年三月四日、被告の従業員となり、昭和五五年七月一八日、被告を退職した。
3 被告の退職金支給規定(甲第一号証)によれば、被告が原告に対し支給すべき退職金は、金五八万九三〇〇円である。
4 被告は、原告に対し、退職金として金四二万〇九三〇円を支払つたが、残額金一六万八三七〇円を支払わない。
5 右不払は、労働基準法二三条第一項に違反し、同法一一九条の二に該当する犯罪行為であるのみならず、被告は、原告からの再三の請求に対して、「こういうわずかなことで、でるとこでても仕方ないで。会社にはちやんと弁護士がおる。おまえらしろうとやから出るとこ出ても負けや。」などと放言するなどし、支払を拒否した。
それにより、原告は精神的な苦痛を蒙り、それを慰謝するには金一五万円の支払を受けることをもつて相当とする。
6 原告は、本件訴訟を原告代理人に委任し、昭和五五年八月二二日、着手金五万円を支払い、原告が勝訴した場合の成功報酬金五万円を支払うことを約した。
7 よつて、原告は被告に対し、右4、5、6の合計金四一万八三七〇円及びこの内4、5の合計金三六万八三七〇円に対する本件訴状送達日の翌日である昭和五五年一〇月一七日から、内6の金五万円に対する本判決言渡の日の翌日から、各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1、2の事実は認める。
2 同3の事実は否認する。
3 同4の事実は認める。
原告が被告に対し金四二万〇九三〇円を支払つたのは、被告から執拗に退職金を請求され、後述のとおり支払義務はなかつたのであるが、恩情的に規定額の七分の五の金額を支払つたものである。
4 同5、6の事実は否認する。
5 同7は争う。
三 被告の主張
1 被告の就業規則(乙第一号証)七七条(イ)は、「従業員が依願退職しようとするときは一四日前に退職願を提出し従前の勤務を継続しなければならない。」と規定する。
また、被告の退職金支給規定(甲第一号証、乙第二号証)七条は、「左の各号の一に該当する場合は、第三条に定める退職金を支給しない。(1)懲戒解雇された場合、(2)会社承認を得ずして一方的に退職した者、(3)諭旨解雇の場合は、その情状により支給額を組合と協議決定する。」と規定する。
2 被告と原告所属の労働組合との間の、右退職金支給規定の解釈に関する昭和四九年七月一日付覚書(労働協約の一部)の一項は、「退職金支給規定第七条(2)号の会社の承認を得ず一方的に退職した者とは退職願を提出した日より七乗務(一四日間)正常に通常勤務をしなかつた者を含む」と規定する。
3 被告は、タクシー業を営むから、従業員たる運転手が突然退職すると、代りの従業員が見つかるまでの間タクシー車を休車させなければならない。
被告は、右のような不測な損害を回避するため、従業員に対し、退職の日の少なくとも一四日前に退職願を提出させることとし、退職願提出後に一四日間の勤務(七乗務)をすることを求めている。これが右就業規則、退職金支給規定、覚書の各規定が設けられた趣旨である。そこで、
(一) 右一四日間の勤務は、「正常に通常勤務」することを要し、欠勤した場合にはもちろん、年次有給休暇を取得した場合にも右「正常に通常勤務」するとの要件を充足しない。
(二) このことは、右各規定の文理解釈から明らかであり、とりわけ右覚書の文言に「正常に通常勤務」として年次有給休暇を取得した場合をそれに含ませない趣旨となつていることから明らかであるのみならず、現実の運用もそのようになされてきた。
4 原告は、昭和五五年七月一日に退職の届出をし、同年同月一八日に退職したが、その間四乗務(八日間)したのみで、その他の日は、年次有給休暇二日間、欠勤四日間、無断欠勤二日間であつて、前記所定の七乗務をしなかつた。
5 従つて、原告は退職金を請求しえない。
6 なお、被告は、原告から執拗に退職金の支払を請求され、根負けして、原告に対し、所定の退職金の七分の五である金四二万〇九三〇円を支払つたが、被告は、それで原告と和解したつもりであつた。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の事実は認める。
2 同2の事実は不知。
3 同3の事実中、冒頭の事実は不知、(一)、(二)の事実は否認する。
4 同4の事実中、原告が昭和五五年七月一日に退職届出をし、同年同月一八日に退職したこと、その間四乗務(八日間)、欠勤六日間であることは認めるが、その余の事実は否認する。
5 同5は争う。
6 同6の事実中、原告が被告に対し退職金の支払を請求したこと、被告が原告に対し所定の退職金の七分の五である金四二万〇九三〇円を支払つたことは認めるが、その余の事実は否認する。
五 原告の主張
1 被告主張にかかる覚書(乙第三号証)は、大宝タクシー労働組合規約二五条所定の手続を欠いており、労働協約には該当しない。
2 仮に、右覚書が労働協約であつても、そこに規定する七乗務とは、実働の七乗務を意味し、それには、年次有給休暇を取得した日も含まれる。もし、年次有給休暇を含ませないこととすれば、労働基準法三九条三項が労働者の時季の指定により当然に年次有給休暇が成立して当該日における就労義務が消滅することを定めているのに違反し、また、退職届出後に、年次有給休暇を取得してもよいが、それを一日でも取得したら退職請求権を取得しえないこととすれば、労働者をして事実上その取得を断念せしめるものであつて、同法同条同項の脱法行為として、民法九〇条の公序に違反し、更には、退職届出提出後に現実に七乗務しない限り退職金を支給しないこととすれば、事実上二週間を通じて七乗務することを強制することになり、労働基準法一六条、二三条、三二条に違反し、あるいは、民法六二七条に違反する。
3 なお、被告の就業規則九一条一四号によれば、無届欠勤一四日以上の者は懲戒解雇となり退職金は支給されない旨規定されているところ、被告の退職金支給規定七条(2)の規定は同条(1)の規定の場合と並んで退職金請求権を取得できない事由を規定しているから、同条(2)の事由についても、右懲戒事由に比するほどの事由であることを要する。
4 また、被告の主張3の冒頭に記載の合理性については、民法六二六条や被告の就業規則七七条(イ)に定める予告期間をもつて足り、労働者が年次有給休暇を取得したり、病気や不虞の事故などによる休車の発生は、右二週間の予告期間に関わりなく発生することが予想されるから、被告主張にかかる右の如き合理性は存しない。
六 原告の主張に対する認否及び反論
1 原告の主張1は争う。覚書は労働組合法一四条の要件を満している。
2 同2は争う。被告は、退職届出提出後に年次有給休暇を与えないのではなく、それを取得し場合に退職金を支給しないのに過ぎないから、労働基準法に違反していない。しかも、被告は、退職届出を二週間以上前に提出することを禁止していないし、退職届出の効力が生じた後でも所定の乗務日数を満たすだけ乗務すれば退職金を支払うこととしているから、覚書のような条件を課しても労働者に酷な結果にはならない。なお、被告は、原告の取得しうる年次有給休暇に対応する割合の退職金を支払つているし、更には、原告は、退職届出後において、年次有給休暇以外に三日間欠勤しているから、この点からも退職金請求権を取得しなかつた。
七 被告の反論に対する認否
被告の反論については争う。
第三証拠<省略>
理由
一 請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
二 原告は、被告を退職したことにより被告に対し退職金支給規定(甲第一号証)に基づく退職金請求権を取得した旨主張し、被告は、原告が退職届出後原告所属の大宝タクシー労働組合と被告との間に締結された昭和四九年七月一日付覚書所定の七乗務(一四日間)をしなかつたから、退職金支給規定七条(2)の規定により退職金請求権を取得しなかつた旨主張するので、以下その点につき検討する。
1 被告の退職金支給規定(甲第一号証、乙第二号証)七条において、「左の各号の一に該当する場合は、第三条に定める退職金を支給しない。(1)懲戒解雇された場合 (2)会社承認を得ずして一方的に退職した者 (3)諭旨解雇の場合は、その情状により支給額を組合と協議決定する。」と定めていることについては当事者間に争いがない。
2 被告の就業規則(甲第六号証、乙第一号証)七七条(イ)において、「従業員が依頼退職しようとするときは、一四日前に退職願を提出し、従前の勤務を継続しなければならない。」と定めていることについては当事者間に争いがない。
証人日下部昭次、同小野忠男の各証言により真正に成立したことが認められる乙第三号証及び同各証言によれば、原告の所属する大宝タクシー労働組合と被告とは、昭和四九年七月一日、従来の慣行を明文化して、「退職金支給規定第七条(2)号の会社承認を得ず一方的に退職した者とは退職願を提出した日より七乗務(一四日間)正常に通常勤務をしなかつた者を含む」との内容を含む覚書(乙第三号証)を交したことが認められ、原告本人尋問の結果中右に反する部分は措信できず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
なお、右覚書を交すについて、原告主張の如き手続上の瑕疵の存することを認めるに足りる証拠はない。
3 右2の就業規則及び覚書の各規定に右各証言を総合すると右2の覚書の規定は、被告において、従業員が予告なしに退職した場合に代りの従業員を採用するまでタクシー業務用自動車を遊ばせる事態が生ずることを防止する必要から設けられた右2の就業規則の規定を実効あらしめるため(右のような就業規則の規定を設けただけでは、退職の予告後に乗務しないことによつて、右規定が空文化する可能性が予測される。)、労使の合意によつて設けられたものであつて、その趣旨は、病気や近親者の弔事などで乗務できない場合を除いて、乗務できる状態(正常)であつたのに通常(平常)の乗務を実際に七乗務(一四日間)以上しなかつた場合には退職金の支払を請求できないというものであることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
4 原告は、前記2の覚書の規定が、労働基準法三九条三項、一六条、二三条、三二条、民法六二七条、九〇条に違反する旨主張する。
なるほど、右覚書の規定は、前記2の就業規則の規定とあいまつて、労働者の年次有給休暇の時季の指定の自由を制約し、それに違背した場合には、懲戒解雇の場合と同様に退職金請求権を取得せしめないとの制裁をもつて右各規定を遵守させている。
しかしながら、右覚書の規定は、退職日から遡つて所定労働日の一四日間に限つて年次有給休暇の取得を制約されるにすぎず(退職届出から退職日までに所定労働日が一四日を超えた日数がある場合の退職日から所定労働日の一四日間より前の日数及び退職の場合以外の日については、年次有給休暇の取得について制約しない。)、労働基準法三九条三項但書の趣旨及び前記3の事実に鑑み、そのような制約を労使間で合意することが、同条三項の趣旨を没却することになるものとは断じ難いし、しかも、退職日及び退職届出日の設定は労働者において任意に設定でき、かつ、年次有給休暇の取得もそれをも考慮して任意に消化できることも考え併わせると、右のような制約があるからといつて、それをもつて前記覚書の規定の効力を妨げる事由とは認め難い。
なお、原告が、退職の場合以外でも、年次有給休暇を取得などすれば、タクシー業務用自動車が遊ぶことに変りがないと主張する点については、退職の場合は、当該従業員は以後乗務が予定されないことになるのに対し、退職以外の場合には、当該従業員の以後の乗務が予定されているのであつて、その前提を異にするから、右主張は容れ難い。
従つて、原告の前記主張は理由がない。
5 証人小野忠男の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、昭和五五年七月一日に退職の届出をし、昭和五五年七月一八日に退職するまでの間四乗務(八日間)したにすぎないことが認められ、右に反する証拠はない。
6 そうすると、原告は、前記覚書の規定を充足することになるから、前記就業規則及び退職金支給規定の各規定によつて、退職金請求権を取得できなかつたものといわざるをえない。
三 従つて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告に対する退職金一六万八三七〇円の支払を求める請求はすべて理由がなく、その存在を前提とするその余の請求もまた理由がないことに帰するから、原告の本訴請求をすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 草深重明)